株式会社プリス

振とう機・振とう培養機 高圧蒸気滅菌装置

コラム#28「微生物の培養液は培地と呼びます。」

2022.06.08更新

培地ってなに?

微生物を培養する培養液は、「培地」と称するのが一般的です。
培養液でも間違えではないのですが、溶液状の「液体培地」とこれにゲル化剤(寒天やゼラチン等)を加えてゼリー状にした「固体培地」もあるので、まとめて培地と呼びます。
世界で最初に液体培地を用いた実験を行ったのはフランスのルイ・パスツール(1822-1895年)でしょう。 微生物の存在を科学的に証明した研究者です。有名な首の長いフラスコの中身は肉スープ(液体)だったそうです。
そして固体培地はドイツのロベルト・コッホ(1843-1910年)が考案したものです。
彼は微生物の純粋培養法を開発した研究者です。液体培地を用いると多くの微生物が混合した状態で一緒に培養されてしまいます。
これに対して固体培地の表面で微生物を培養すると、1つの細胞から細胞分裂したと考えられる菌体の塊「コロニー」ができます。
コロニーは単一の微生物のクローン集団であり(厳密にはクローンでない場合もありますが)、これにより1種類の微生物のみを「純粋培養」することが可能となりました。
初期にはジャガイモのスライス表面(さすがドイツ)での培養も行われたようですが、やがて液体培地にゲル化剤を加えて固化する現在の手法が考案されました。

微生物の生育と培地

培地は、微生物の生育に必要な炭素源、窒素源、それに各種ビタミン類とミネラル類を含んでいなくてはなりません。
純粋な試薬を使って調整したものを合成培地、肉エキスや麦芽エキス等の天然物由来のものを主とするものを天然培地、その中間的なものを半合成培地と言います。 合成培地でもビタミン類とミネラル類の素として酵母エキスをわずかに加えることがあります。 ただし酵母エキスにも炭素源や窒素源となる物質が含まれるので、気になる研究者はビタミン類とミネラル類も純粋な試薬で調整します。 古い研究では、ある農場の土壌抽出液を使う培地なんかもあります。
ここまでマニアックでなくともビタミン類やミネラル類は微生物の生育や代謝に影響します。 天然培地に使うエキス類はメーカーや生産ロットによって成分に差異があり、エキス類に含まれる微量の因子が生育や生産物の種類や生産量に影響することもあります。 また試薬類を溶かす「水」に含まれる微量成分(多くはミネラル類)にも注意が必要で、研究によってはどの程度の精製水なのかに神経を使います。 精製水と言っても蒸留水、イオン交換水、超純水等のグレードがあるからです。勿論、試薬の純度も重要です。
以前にアメリカのNASAがリンの代わりにヒ素を利用する新規微生物を発見したと発表したことがありました。 画期的な発見か?と騒がれて、多くの研究者が検証実験を行いました。 その結果、試薬のヒ素化合物にわずかに混入していたリン酸塩を使って微生物が生育していたことが明らかとなり、「ヒ素生物」は幻と消えました。

合成培地は緩衝液(多くはリン酸緩衝液)を含んでいます。これは微生物が生育し、何かの生産物を作っても培地のpHが大きく変動しないようにするためです。 多くの場合pHは中性付近にしますが、研究の目的によってはアルカリ性や酸性にすることもあります。 またリンは生命に必須の元素でもあるので、リン酸緩衝液を用いるのは理にかなっています。
これに炭素源として糖類、有機酸類やアルコール類等を加えます。微生物はこれらを“食べて”生育します。 「食べて生育する」とは、炭素源を分解して自身の体(菌体)を合成できるということです。 「食べて生育する」微生物は資化性菌と称されます。例えば炭素源としてグルコースを加えた培地に生育する微生物はグルコース資化性菌です。 加える炭素源の濃度も様々です。大体は培地に数%程度を添加しますが、毒性のある炭素源の場合は濃度を低くしたりします。
窒素源にはアンモニア塩や硝酸塩、尿素等が使われますが、アンモニア塩が一般的でしょうか。 窒素を含む化合物は炭素を含むもの程には種類が多くないので、窒素源のバリエーションは少な目です。 特殊な例としては窒素を含む有機物を窒素源として使って、その含窒素化合物の分解菌を探した研究があります。

固体培地

固体培地の場合、ゲル化剤の純度も重要です。試薬として入手可能なゲル化剤で一般的なものは寒天を精製したアガーです。
これにもメーカーによっていくつかのグレードがあります。微生物によってはアガーの製造ロットが変わっただけで、生育しなくなることもあります。 原因が分かれば対処できますが、場合によってはアガーをロット買いしなくてはなりません。
アガーは結構高価ですから、研究費も心配になってきます。アガーよりも精製度の高いものがアガロースです。 これはDNAの電気泳動用のゲルを作るための試薬ですが、デリケートな微生物では培養に使うこともあります。 アガロースはアガーよりもさらに高価です。でもアガーより少ない量でゲル化するので、ここはコスト管理能力が試されます。 さらにアガロースにはご丁寧に防腐剤を添加した製品もあるので、固体培地用に使う際は要注意です。 そしてアガー資化性菌もいることもお忘れなく。滅多に出くわすことはないですが、海由来の微生物源からは稀に見つかるそうです。
アガーの原料は寒天、つまり海草です。海に海草を食べる微生物がいるのは当然でしょう。 アガーや寒天を使った固体培地にアガー資化性菌が生育すると、コロニーが培地表面より沈んで見えます。 アガーが分解されたためです。さらに強力なアガー資化性菌の場合は固体培地が液化してペトリ皿(シャーレ)から漏れ出すそうです。

奥深い「培地道」

微生物の研究は歴史的に食品分野や医学から発展しました。このため研究用培地は人間の食品に近い組成になっています。 パスツールも肉スープを使ったくらいですから。しかし自然環境では炭素源をはじめとして微生物の生育に必要な物質の濃度は極低濃度です。
いたるところにいる微生物が常に生育に必要な物質を分解・吸収し続けている結果です。 このため土壌や湖沼にいる微生物を培養するには培地が濃すぎる場合があります。 実際に大腸菌の培養に使われるニュートリエントブロス培地では、10倍、100倍に希釈した方が多くの種類の微生物が生育することが分かっています。
「栄養はたくさんの方が良い」とか「グルコース等の糖類は微生物の栄養になりやすいだろう」とかは、人間の勝手な思い込みです。 培養は微生物研究の重要な要素の1つです。このため、多くの研究者が培地に工夫を凝らしています。しかし理想的な培地はなかなかに難しいものです。
「培地道」は、なかなかに奥が深そうです。


技術顧問 博士(農学)

茂野 俊也(Toshiya Shigeno